The Lost Symbol/ロスト・シンボル 公式サイト

全米ベストセラーランキング6週連続 第1位!!

(Publishers Weekly ハードカバー・フィクション部門/2009年10月19日付)(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスはじめ全世界の初版累計)

著者紹介&インタビュー



■ダン・ブラウン

1964年ニューハンプシャー生まれ。アマースト大学を卒業後、英語教師から作家へ転身。2003年3月本書『ダ・ヴィンチ・コード』を刊行、無名の作家ながら、1週目からベストセラーランキング1位を獲得、刊行後一年以上たった2004年4月現在なお1位を譲らないという、社会現象といえるほどの驚異的な売れ行きとなる。2000年に刊行したシリーズ第一作である『天使と悪魔』も同時に売れ始め、一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たす。父は数学者、母は宗教音楽家、そして妻は美術史研究者であり画家でもある。

Q:『ダ・ヴィンチ・コード』の成功はつぎの作品にどんな影響を及ぼしましたか。

A:あの本が大あたりするとわかりはじめたころには、もう『ロスト・シンボル』を書いていたんですよ。成功をおさめた作家ならだれもが経験することですが、わたしもしばらくは自意識過剰になりました。登場人物が何々をすると書くはずが、そこで手を止め、何百万の読者がこれを読むんだな、と考える。テニスプレーヤーがストロークを意識しすぎて、しばらくうまく動けなくなるようなものです。

Q:それをどう克服したんですか。

A:嵐がおさまり、自分のしていることがその騒ぎとなんの関係もないことに気づきました。わたしはただの小説書きです。

Q:大金持ちのね。

A:たしかに、人生に劇的な変化がいくつも起こりました。ほとんどはすばらしい変化でしたが、すべてではありません。プライバシーを失ったのは実に大きな痛手です。

Q:今回の小説と『ダ・ヴィンチ・コード』のあいだに類似点はありますか。

A:これまでの全作品と類似点があります。象徴や秘密結社や美術や歴史の世界へ回帰しましたから。

Q:ワシントンDCの何に惹かれるんですか。

A:力、それも隠れた力というものに強い魅力を感じますね。見えざる力。国家安全保障局(NSA)。国家偵察局(NRO)。オプス・デイ。そして、すべての物事はわたしたちにはうかがい知れない理由によって起こるという考え方。これを思うと、宗教のことが頭をよぎるんです。何ごとも偶然ではないと思わせるのが、宗教の持つ力です。人生に悲劇が起こっても、それは神が自分を試しているか、何かを伝えようとしているからだと。陰謀説を唱える人の考え方もそうです。「ひどい不景気だって? ああ、それは偶然じゃない。プラハの金持ち連中が腰を落ち着けたから......」というふうにね。

Q:宗教を信じていますか。

A:監督教会の信徒として育てられたので、子供のころはとても信仰心が篤かったんですよ。その後、中学生のころに、天文学や宇宙論や万物の起源について勉強しました。牧師にこう訊いたのを覚えています。「ぼくにはわかりません。本にはビッグバンという爆発があったと書いてあったのに、ここの教えでは、神は七日で天と地と生き物を創造したことになっています。どちらが正しいんですか」とね。残念ながら「よい子はそんな質問をするものではない」というのが答でした。そのとき、はっきり思いました。聖書の記述はおかしい。科学のほうがずっと合理的だ、と。そしてすぐに宗教から離れました。

Q:いまはどうですか。

A:皮肉なことに、結局もとにもどりました。科学を学べば学ぶほど、物理学が形而上学へ、数が虚数になってしまうのがわかったんです。科学へはいりこむほど足もとがぬかるんでくる。そこで、科学には秩序があるが、スピリチュアルな面もある、と思いはじめたわけです。

Q:『ダ・ヴィンチ・コード』で、聖なる女性について、キリスト教よりも女性を中心に据えた立場から書こうとした理由はなんですか。

A:ひとつには母の影響があります。母は強い信念を持っていますが、非常に柔軟に変化を受け入れられる人です。それから、自分が恋愛をしたり、ほかの宗教について見聞を広めたことも土台となりましたね。特に古いもの----偶像崇拝や地母神信仰などです。世の破壊活動のすさまじさを見て感じたこともきっかけになっています。いったい何をやっているの、もしも殺し合いに費やした知恵と金の半分でも問題解決のために使えたら、すばらしいだろうな、と。破壊行為は男性ホルモンのなせる業だという気がするんですよ。だから、もし神が女性だったらどうか。もしわたしたちが女性の側に立ち、より創造的で、懐が深く、愛情の満ちた立場を重んじたらどうなるのか、とね。大ざっぱにまとめましたが、以上のことすべてが聖なる女性の登場につながったわけです。

Q:あなたは陰謀論者ですか。

A:いかなる面においても、まったくちがいます。懐疑論者というほうがずっと近いですよ。わたしはUFOの存在も、2012年の世界滅亡説も信じていません。自分の本が大成功をおさめたのは、懐疑的な立場で書いてあるからだと思います。主人公のロバート・ラングドンはどんな陰謀説とも距離を置いています。知的な読者はわたしの本を読んでいるうちに「ほう、おもしろい、ひょっとしたらこんなことがあるのかも」と感じますが、一方で「そんなばかな」と考える登場人物につねに共感してもいます。わたしの目論見どおりなら、懐疑的な読者は本を楽しみながら「おお、すごい。これはありえなくもないな」と思いはじめるのです。

Q:いまでは、トム・ハンクスを思い浮かべずにロバート・ラングドンを描くのはむずかしいですか。

A:いいえ。トム・ハンクスを映画のセットで見るよりずっと長い時間、わたしはロバート・ラングドンに費やしてきました。そんなことは考えもしませんね。

Q:文筆の世界から映画の世界へ行ったご感想は?

A:書くというのは孤独な作業です。一方、映画製作は、何千もの道具や人が動く、統制のきいたカオスです。決定のひとつひとつが妥協だとも言える。小説の場合、登場人物の容姿や話し方が気に食わないなら、自分で直せばいいだけです。しかし映画となると、気に入らないことがあっても修正はむずかしい。そして映画ができあがると、観客のだれもが同じハリー・ポッターや同じロバート・ラングドンを見るのです。すべての観客が同じものを見聞きしますが、それは原作者が心に描いたものではないかもしれません。

Q:はじめは『ダ・ヴィンチ・コード』の映画化権を売る気はなかったそうですが、どういう心境の変化があったのですか。

A:一流中の一流の人たちと仕事をする機会を与えてもらえたのがひとつの理由です。それに、よしあしは別としてこう考えました。映画は観るが本は読まない人間がおおぜいいる。すべての人にこの力強い物語を広めるチャンスだ、と。

Q:昔の話を簡単にうかがいます。ロサンゼルスで80年代の後半に音楽関係の仕事を目指してがんばっていたそうですが、どういったいきさつで作家に転身したのでしょうか。

A:そうですね。ちょっと変わった話なんです。わたしは音楽もロサンゼルスも自分に向いていないと感じはじめていました。ハリウッド大通りの近くに住んでいて、まわりの住人はヘビメタのミュージシャンばかりでしたよ。ひどく居心地が悪くてね。名門受験校育ちで、ジーンズを穿いたことさえなかったんですから! あるとき、温室育ちの野暮な若者が音楽産業のど真ん中で生きる姿を書いて、母校の同窓会誌に原稿を送りました。タイトルは"サンセット大通りにおける善と知"。面白半分に書いただけでしたが、それが記事になり、ニューヨークの文芸エージェントから電話をもらったんです。その人はこう言いました。「きみの観点が気に入った。書き方もいい。ニューヨークに来たときに電話をくれたら、ランチに連れていってあげよう」そこで、ニューヨークへ出向いたときに電話をしたら、ほんとうにランチをおごってくれました。1時間ばかり語り合って、わたしは自分のことを話しました。すると、「きみは小説を書くべきだ」と言われたんです。「何を書くのかさえ思い浮かびません」というような感じの返事をしました。すると、テーブルの向こうのその人は言いました。「いいかね。わたしはずっとこの仕事で生きてきた。きみは作家だ。まちがいないとも。何を書きたいのかわかる日がそのうち来る。そのとき、きみは小説を書くと思う」わたしはこう言って帰りました。「そうですか。お会いできてよかった......だけど、変わったかたですね」

Q:それからシドニー・シェルダンの小説を読んだんですね。

A:『陰謀の日』です。長い小説ではなく、けっこう軽めだったのを覚えています。でも、あれほど楽しく読めたのはほんとうにはじめてでした。大学で創作文芸をずいぶん勉強しましたが、書くのは個人的な体験談ばかりで、知っていることを書くようにいつも指導されました。枝葉を広げて人物を描くことはまずありませんでしたね。

Q:ところで、エクセターで教鞭をとっていらっしゃったとき、生徒が冗談で大統領の命を脅かすような内容のEメールを書いたために、シークレット・サービスとひと悶着あったそうですね。

A:はい。あれには驚きました。まだEメールが普及しはじめたころでした。どうやって読まれたのかと不思議に思いましたよ。非公開のものという認識でいましたから。そこで、当時だれにも知られていなかった国家安全保障局(NSA)について調べてみました。しだいに夢中になり、そこを小説の舞台にしようと思うようになりました。ある朝目を覚ましてベッドから起きあがり、「小説を書くときがついに来たんだ」と口にしたんです。妻はわたしの頭をやさしく叩いて「やりなさいよ。すてきじゃないの。楽しんでね」と言ってくれました。あのころは教師の仕事をふたつ掛け持ちしていたものです。朝四時に起きて8時まで書き、12マイルの道を自転車で飛ばして地元の中学でスペイン語を教え、12マイル引き返して家でシャワーを浴びたあと、フィリップ・エクセターへ急行して午後のクラスをふたつ教える。翌朝起きてまた繰り返す。そして1年後、はじめての小説『パズル・パレス』を書きあげていました。


初出:《パレード・マガジン》2009年9月13日号

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